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| GER=ドイツ ITA=イタリア BEL=ベルギー NGA=ナイジェリア |
| □レジェンド・ボランチ
ナイジャといえば、華やかなトップ下のジェイジェイ・オコチャやパピロら攻撃陣に視線が集まるが、彼等をこれほどまで巧く扱えるのはオリセーだけだろう。
守備力に優れたタックルの名手でマンマークにも無類の強さを発揮する。驚異的な守備範囲の広さと運動力。パワー、テクニッグ、そして戦術理解能力を備えた素晴らしい能力の持ち主。さらに広い視野からの精度の高いロングパスなどを駆使した攻撃の組み立ての巧さと、正確無比かつ爆発的なミドルシュートから『Passmaster』の異名を持つ彼は、まさナイジェリア・スーパーイーグルスの心臓、そしてアフリカ大陸史上最高のボランチだ。
サンディ・オリセーは1990年に16歳という若さでベルギーのFC Luttich と契約し3試合に出場する。翌年は16試合、翌々年には完全にスタメンとして活躍をし、当然ながらこの若き青年に代表召集の声がかかり93年7月24日のエチオピア戦で代表デビューをしたオリセーは、代表にも定着し1994年を迎える。
1994年はオリセーとナイジェリア代表の飛躍の年になった。まずANCで優勝をし、World Cupでは3位に入ったブルガリアを予選リーグで破り決勝トーナメントではイタリアをあと一歩まで追い詰めた。オリセー自身も、あの全盛期のロベルト・バッジオを巧みなタックルで89分までは抑えきり収穫のある大会となった。この活躍が認められイタリア、セリエAのレッジアーナでプレー。そして翌年、1996年アトランタ五輪で頂点に立ったのだ。もちろんオリセーも活躍をし、1997年には活躍の場をオランダに移す。あの名門アヤックスと契約したのだ!!アヤックスでは人々に『ライカールトの再来』と言われ、ボランチのみならずセンターバックとしても大活躍をする!
1998年のWCは、このサンディ・オリセーという選手を日本のみならず世界の人々に衝撃を与えた年だ。初戦、無敵艦隊スペインと対戦することが決まった我がスーパーイーグルスの絶対不利と言われながら、オコチャのロングスローからDFがクリアしたボールをオリセーがボレーをし、凄まじい勢いでゴール右に決まった!!このゴールは大会ベストゴールの一つとも言われ、7年経った今日でも記憶に新しいだろう。
そして翌年ユベントスに入団が決まり、オリセーのサッカー人生は華々しく見えたがユベントスでは怪我もあり出場は8試合にとどまる。2000年にドルトムントへ移籍し完全復活をし、代表チームでもキャプテンとしてリーダーシップを発揮してきたが2002年ANCで参加費用に関することで協会を非難し、結果的に代表から外されてしまう。クラブでも03-04シーズンはドルトムントで出場機会がなくボーフムにレンタル移籍。だが、ボーフムでチームメイトとの口論で怪我を負わせてしまい即契約解除をされ、ドルトムントも解雇をしたのだが04-05シーズンに大幅減俸に合意をし、ドルトムントに復帰!その後ゲンクへ移籍したがシーズン途中に突如現役引退を発表した。
ボランチという戦術的に難しいポジションにおけるスター選手はナイジェリアのみならず、アフリカ大陸では彼しかいなかった。ゆえにナイジャでは彼の後継者の育成が大きな問題になるであろう。
試合動画(Youtube)
http://jp.youtube.com/watch?v=69Eu8HMrG94
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